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海辺野ジョーはバーンアウトシンドロームでした

バーンアウトシンドロームとは

日本で燃え尽き症候群というと、全力で目標を達成した人が途端に無気力になることだと思われているが、実はそれだけではない。
燃え尽き症候群のことを英語では「バーンアウト シンドローム」と言う。バーンアウトとはロケットの燃料が切れることを指す。
「バーンアウト シンドローム」は、事が終わって燃え尽きてしまった状態に加えて、ロケット燃料という命が切れるまで全力で進むことを止められない状態も含む。

バーンアウトシンドロームの状態にある人は全力で仕事をする。スタート地点からバーンと勢いよくエネルギーを燃やしゴールする。そして、そのままゴール向こうの壁までコースアウトして激突する。そして、激突した壁に穴があくと、そのまま次のレースに参加していく・・・喜んで、休むことなく。
バーンアウトシンドロームの状態にある人は、ゴール地点で立ち止まって、ゴールするまで見守ってくれた周囲にむかって笑顔で手を振ることができないのだ。
ずっと全力で走り続けている。

「燃え尽きる」ではなく「全力で進むことを止められない」と言われていたなら、私はもっと早く苦しみの原因を自覚できたかもしれない。

私が自分の状態をバーンアウトシンドロームだと気がついた本はこちら。
エリック・パーカー『残酷すぎる成功法則』

私はずっと自分ではない誰かのために仕事をしてきた

20代でグラフィックデザイナーとして働きだしてから、私はずっと自分ではない誰かのために仕事をしてきた。

ダメだしをされるのは当たり前、どんなにアイデアを出してもことごとく蹴飛ばされ、無茶なスケジュールでコンペの参加者不足の帳尻合わせにつきあわされたことも多々あった。
アイデアを出させるだけ出させて、一銭ももらえないことも多々あった。
しかし、それを間違っている・失敗しているとは思わなかった。
駆け出しの頃はそれが当たり前で、仕事としてデザインをするということはこういうことだと信じていた。

そうこうして20年が経過し、私はクライントがみなまで言わなくても結果のでるデザインができるようになっていた。
無名のデザイナーではあるが、ヒットを飛ばした商品のパッケージを手がけている。
閑古鳥が鳴いている商店街の祭りのポスターを手がけて、例年とはケタ違いに人を呼んだこともある。

しかし、こうしてうまくいった結果を台無しにするのは、いつもクライアントだった。
商品のパッケージがいいから売れたことは明白だったのに、これ以上デザイン料を支払いたくないというケチな理由で、無断でパッケージデザインのデータを流用して社内のソフトが使えるだけの従業員にポスターやディスプレイといった販促物を作らせた。結果、充分に商品の良さを伝えられないばかりか、販促物のクオリティの低さが商品の価値を落としていった。

中身が同じ商品がたくさんあるなかで、なぜそれだけが売れたのか?
パッケージデザインがよかったからだ。
それは誰がやった? そいつはプロじゃなかったか?
なぜクライアントは、結果を出したことのないソフトを使えるだけの従業員が、結果を出してきたプロと同じことができると思ったのだろう。

それに対して、私は抗議したり権利を主張したりはしなかった。
理由は次の仕事のことでいっぱいいっぱいだったから。すでに次の全力疾走に入っていたから。
思慮の足りないクライントが自滅しようが、自分が全力で取り組んだデザインがどうなろうが、どうでもよくなっていた。
そうして、私は少しずつ確実に死んでいった。
でも受けた理不尽に対しての怒りは消えないし、その怒りが次の仕事を成功させるパワーになってもいたから、死んでいることに気がつかなかった。

鬱の人は怒りを抱かず自分を責めるというが、バーンアウトシンドロームの人間は怒りをロケットエネルギーに変えるのだという。

ある日、私はもう死んでいるんだ、と悟った。

ある日。
半年ほどかけて積み上げてきた仕事がゴールした。
私は初めてゴール前で立ち止まった。そしてゴールまでゆっくり歩いた。
これまでずっと、ゴールを過ぎても走り続け、コースアウトして壁に激突しても止まれなかったのに。
ゴールで立ち止まって、観客の誰ひとりいない周りを見渡して、私は初めて「もうやりたくない」と思った。
ようやく、私はもう死んでいるんだ、と悟った。

自分が死んでいると悟ってからしばらく、理不尽な記憶が甦っては怒りが湧くばかりで、物事に集中できない日々が続いた。
ふと、「Siriの感情のない機械的な読み上げを耳に入れていれば、精神状態が安定するんじゃないか」と閃いて、いくつかの電子書籍をアマゾンプライムで借りては、音楽の変わりにSiriに読み上げさせていった。
そのなかにエリック・パーカー『残酷すぎる成功法則』があった。
そして、私が20年も抱えていた苦しみの正体を知った。

私は「バーンアウトシンドローム」に陥っていた。

苦しみの正体が分かったからといって、心療内科にかかるつもりはない。
医者であろうが誰であろうが他人に私の現実を変えることはできないし、エリック・パーカー『残酷すぎる成功法則』のなかに解決策があったから。そして、その解決策は友のアドバイスと同じだった

解決策はただひとつ、「本当にやりたい仕事に集中せよ。まずはそれをやり遂げろ。」だった。

44歳。グラフィックデザイナーとして20年、マンガ家として5年ほど経過した。
これまで一度もやっていないことは『自分が本当にやりたい仕事に集中する』ことだった。
20年以上、誰かの人生のために仕事し続けていたが、私は自分の人生のために仕事をしたことがなかった。

それで決めた。
これからは本当にやりたい仕事だけをやる。
ここで大失敗するかもしれないが、かまわない。
残りの人生を「誰かのために死ぬほどやったのに、その結果に殺される」のはごめんだ。どうせ死ぬのなら、自分の失敗のせいで死にたい。

決断の前にもう一度思い出せ

クライントは言うだろう。名古屋に居て東京に出られないデザイナーにちゃんと金を払って使ってやってるんだから感謝して欲しいくらいだ、と。
実際、名古屋のクライアントは「東京のデザイナーが要望するほどの金は払えないから、しかたなく、言い値でやる名古屋のデザイナーを使ってやってやるか」という感覚ありきで発注してくる。「使ってやってるんだから」という前提があるので横暴極まりない。予算がないのに「使ってやってる」という姿勢でくるなんて、どれほど横暴な発注ぶりだったか書いてみたが、ブログの趣旨とは異なってしまうので(呪いの記録書みたいになっちゃったので)ごっそり消した。

5年ほど前に仕事として描き始めたマンガでも打ちのめされた。
原稿料を一銭も払ってもらえず、掲載されたことに感謝してよね、という対応をされたことはまだいい方だった。ある編集者は、おんぶに抱っこで描かせておきながら「うちが掲載料をもらいたいくらいなんですけど」と言った。
私のマンガがそんなことを言われるシロモノではないことは、作品「お部長と平田」の読者からのレビューで明らかになった。ある日、私がゴールの前で止まることができたのは、読者のレビューのおかげだったと言っても過言ではない。読者には心から感謝している。

とにかく、20年もの間、私のなかに蓄積された怒りや恨みはすさまじい。いっそ無差別殺人犯になって射殺されたいくらいだ・・・と、そうなる様子を妄想することもあった。今思えば恐ろしい妄想なのだが、バーンアウトシンドロームに陥っている私にはそれだけが救われる手段であるかのように思えたのだった。

エリック・パーカー『残酷すぎる成功法則』の中に、バーンアウトシンドロームに陥ると自殺願望が芽生えることが書かれていて、それを読んだ私は自分が楽になるのが分かった。私は心底苦しかったんだと気付いて楽になれた。無差別に人を殺すことが自分の望みではないと分かってほっとした。
『残酷すぎる成功法則』によると、「バーンアウトシンドローム」になっている原因を取り除けば、この自殺へと繋がる絶望的な思考回路が改善されるのだという。

原因を取り除く方法はなんだっけ。
そう・・・

「本当にやりたい仕事に集中せよ。まずはそれをやり遂げろ。」だ。

それで決めた。
無差別殺人をしないために。
これからは本当にやりたい仕事のことだけ考えよう。

そして行動した。
本当にやりたい仕事以外の新規案件は全て断った。
従来からの案件も後輩と呼べるデザイナーや関係者に渡した。
やると言っていた仕事を急に断ったことで信用を失うだろうが、かまわない。
信用を失うことと無差別殺人者になることを計りにかけたら、信用を失った方が明らかに平和的だ。
私は元来平和主義なんだ。優しい人間で、怒りと恨みで世界を呪うような人間じゃない。・・・そんな人間じゃなかったんだ。

私は本当にやりたい仕事だけをやりながら、本来の自分を取り戻そうと思う。
世界を恨まない自分を取り戻す。
20年も苦しんできたから、そうすぐには取り戻せないだろう。
時には理不尽な記憶がよみがえって私に世界を呪うように仕向けるだろう。
だから、今の状態を思い出せるようにこの記事をアップする。理不尽な記憶に負けないように。

いつか、こんな日もあったな、と笑えるだろう。

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